松尾大社の山吹

久しぶりに更新をします。
さて、「夏子の酒」という漫画をご存知でしょうか?和久井映見主演でドラマにもなっていました。
新潟の造り酒屋の娘が兄の意志を継いで、幻の酒米を復活させ、最高の日本酒を作り上げる、というような話なのですが、頻繁に「松尾様」なる名前が登場します。
主人公の佐伯夏子は自称「松尾様の巫女」だそうなので、また、松尾様というのは神様なんだな、ということがわかりますが、酒蔵の二階に神棚があって、そこに松尾様は祀られています。
この「松尾様」、漫画では、代表的な酒造りの神様、という程度の説明なのですが、京都にある「松尾大社」のことを指しています。

何が、蛙と関係あるんだ、という方、もう少しお待ちください。
松尾大社といえば、西京区嵐山にある京都最古の神社で、平安京ができる前から、有力豪族秦氏の氏神として、西暦701年には現在の場所に社殿が建てられた、という大変古い神社。現在の本殿は、室町時代に建造されたものが残っており、応仁の乱以前の建物が残っている事自体、珍しいというところ。
前述の漫画との関係でいくと、松尾大社の境内には、亀の井という湧き水があって、これを醸造の水に混ぜるとよいと言われている、酒造りの神様、正確には、みそ、醤油などを含む、醸造の祖神ですので、佐伯酒造も当然のことながら、厚く信仰をしているというわけ。

そして、もう一つの重要なポイントは、松尾大社が関西屈指の「山吹の名所」であるということ。
山吹といえば、以前から何度かご紹介しているとおり、井手の玉川に咲く山吹、そして鳴く蛙というのが和歌によく用いられる歌題です。
和歌の世界では、山吹といえば蛙、蛙といえば山吹、というほど密接につながっています。
2013年4月23日、朝日新聞に山吹満開のニュースが載っておりまして、かえるクラブとしては、これは見に行かねばなるまいということで、それから約一週間後の某日、京都まででかけてきました。

阪急嵐山線の「松尾」駅を降りると、駅前にはもう、松尾大社の大鳥居が立っており、迷いようにも迷えない堂々とした趣。鳥居の横には大きな瓶子が2本立っており、さすがにお酒の神様だと思わされます。

松尾大社の山吹
松尾神社の石碑と一面の山吹

門をくぐると小川があり、その両脇に八重山吹が群生していました。さすがに満開から一週間ということもあり、場所によってはまばらな印象、というか地味な印象ですが、もともと山吹というのがおとなしい感じの花だからかもしれません。山吹色といえば黄金の代名詞であることを思うと、もっと派手でも良いのですが・・・。

小川にかかる山吹

水車と山吹

おそらく、境内には一重の山吹もあるのでしょうが、すでに散っていたようで、八重だけ。他には、白山吹というのも咲いていました。

酒樽・石灯籠と山吹

白山吹

本殿の建物に関しては、若干蛙に関係する話があるのですが、これは日をあらためて。
なお、松尾大社のそばには一年中鈴虫が鳴く鈴虫寺があります。庭には蛙の置物もありますので、ぜひお出かけください。

鈴虫寺の蛙−その1

鈴虫寺の蛙−その2

山吹の話をもう少し。山吹といえば蛙だけでなく、太田道灌というセットもあります。
後拾遺和歌集に、醍醐天皇の皇子の兼明親王が詠んだ歌がありまして、

七重八重花は咲けども山吹のみひとつだになきぞあやしき

こんな歌です。八重山吹は実をつけない。つけないのはおかしなことだ、というような意味でしょうが、これだけだと何だかよくわかりません。
この歌には、前文があり、「雨が降ってきて、蓑を借りに来た人がいたので、山吹を持たせた。後日、あの山吹の意味がわからん、と言ってきたので、この歌を送った」という経緯があったうえでの歌なのです。
「実のひとつだに=蓑ひとつだに」ということで、「七重八重に咲いているが実のない山吹ではないが、お貸しする蓑もなくて、申し訳ない」という歌になるわけ。

なぜ、この歌が道灌と関係あるかというと、「常山紀談」という本がありまして、湯浅常山という人が江戸時代にまとめた説話集で、いろいろな武将のエピソードが集められたものなのですが、太田道灌のエピソードとしては、「太田持資歌道に志す事」というのがあります。
道灌は和歌に造詣が深いことで有名で、その和歌の道を志すに至ったエピソード。

道灌が鷹狩の帰りに雨に遭い、一軒の小屋に立ち寄って蓑を借りようとしたところ、若い女性が出てきて山吹を折って手渡した。
道灌は、蓑が欲しいのであって、山吹など、と怒って帰ったが、その話を聞いたひとが、それは、古歌にこういうのがあって、お貸しする蓑がないのだ、と詫びていたんだ、と教えられ、びっくりした道灌は、それから歌を志すようになった、とまあこんな話なのです。

蓑がないならない、と言えばいいのに、黙って山吹を出すのは奥ゆかしいのか、あざとく意地が悪いのか、自分のイメージでは何となく後者なのですが、とにかく、道灌のエピソードはよく知られており(落語にもなってますね。)、その結果、さっきの山吹の歌も有名になりました。

例えば、江戸時代の狂歌には、

七へ八へへをこき井手の山吹のみのひとつだに出ぬぞきよけれ

というのもあります。意味は・・まあいいですよね。みのひとつだに出なくてよかった。
まあとにかく、それだけ、山吹と「みのひとつだに」も固く結びついているわけです。

山吹に関する道灌のエピソードをひっぱったのは、もう一度蛙に戻るため。
ドラえもんに出てくるシーンですが、スネ夫が「切手マニアなら、この程度の物を一つぐらいはもちたいもんだねえ」と自慢している切手、何だかわかりますか?
「月に雁」です。見返り美人と並んで日本切手界の王者というべき切手ですが、この作者は、歌川広重。縦長の短冊に描かれた大胆な構図が素晴らしいですね。

広重画
歌川広重画

歌川広重は、花鳥を題材として、他にも短冊型の絵を描いていますが、その中に、「山吹に池の蛙」という作品があります。
昔読売新聞で、「広重花鳥短冊傑作集」というシリーズがあって、毎月二枚ずつ広重の短冊型の絵を解説とともに送ってくるものなのですが、この中にも含まれています。うちにあるのは、このシリーズ。
和歌によくあるコンビを上手くまとめた、池にかかる山吹と二匹の蛙が素晴らしい、蛙マニア垂涎のいい短冊です。
しかし、それだけでは、道灌が関係してこないですね。
ポイントは、この短冊に狂歌が一首添えられているところにあります。

春雨のふる句ながらも山吹のみのひとつだになく蛙かな 長亭

山吹と蛙を道灌が橋渡しする、かえるクラブとしては最高の句を鑑賞しつつ今日はおしまい。

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