谷蟆考

前回、古事記にヒキガエルが登場するという話をしましたが、その後ネットをながめていたら、谷蟆考(たにぐくこう)という本があることを知りました。
だいぶん前に絶版になっているようですが、最近は便利になって、古本も全国から簡単に取り寄せられる、良い時代になりました。
中身を知らずに読んだのですが、古事記をはじめ、古代人の考えや自然等を想像しながら記述する随想をまとめたもので、書名は、最初の随想の題でした。
たにぐくは、「たにぐくのさ渡る極み」、要するに蛙が這いまわれる範囲=地のすべて という祝詞の言葉から取られているようです。
著者は中西進という古典文学研究者。
二本足で立つということが人間の象徴であるのに対して、くえ(壊え)彦=足の悪い者=案山子 は動くことができないがすべてのことを知っている全能者、蛙も立ち上がることはできないが、地のあらゆるところに至ることができる久延毘古の別の顔、蛙が案山子なら知っていることを知っていたのは、蛙と案山子が久延毘古という一体のものであったからと考えられる、人に在らざる異境の者が全智でいたるところに遍在するというような趣旨だったかと。
個人的には、蛙が行ける所=地の果て、というのがイメージし難い感じです。あんまりそういう表現に相応しい動物だとは思わないのだけれども。

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かえるクラブはもともと、蛙だけにこだわるサイトであったわけですが、そうそうネタになりそうな蛙話はないもんです。

最近、古事記を読み返す機会がありましたが、日本神話というのは何というか、九州に上陸した侵略者が紀伊半島から奈良方面に攻め上がって、そこを拠点に全国を支配するに至った征服物語なんですね。

だからどうだ、ということではなく、被征服者一族である大国主命と一緒に国を治めたスクナヒコが海を渡ってやってきた時、皆誰だかわからなかったなか、「それは案山子が知っている」と教える役を担うのがヒキガエルなんです。たにぐく。

日本における蛙と案山子の関係などについては、色々と背景があるのでしょうが、まあそれは置いておいて、蛙が登場するのは嬉しい。しかし、「あいつが知っている」ということを知っているのであれば、その人が誰だかも知っていそうなもんだけれども、何でそんな回りくどいアドバイスをしたんでしょうかね。

蛙が知っていたのは「案山子は何でも知っている」ということだったのでしょうか。だとすれば、案山子が知恵者であることはあまり有名ではなく、それを広めたのが蛙ということなのでしょうね。

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今日から

かえるクラブは装いを改め、ブログ形式で進めていこうと思います。

なぜ、今日からかというと、勢いでMacBook Airを買ってしまったから、何か言い訳が必要になったのです。

言い訳がないと、この金銭出費を家族に納得してもらえそうもありません。

だからといって、ブログを書けば許しが出るものでもありませんが・・・

よろしくお願いいたします。

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