2005年年賀状
お年賀2005
お年賀2005

「明けましておめでとうございます。」
「ああ、おめでとう。」
「今年も年賀状の絵を描いてみましたが。」
「みましたか。」
「お互いの絵を見て感じたことがあるでしょう。」
「ありますか。」
「とりあえずそれを率直に話し合おうというのが今日のテーマです。」
「何で世間話にテーマきめなきゃいかんのですか。」
「あなたの絵ですけど、鶏を描いて、その上にかえるを乗せるというのはどうなんでしょう。えらく安直ではないですか。安直でしょう。安直と認めなさい。ほら。早く。」
「いや、これはもっと深遠な中国の故事に基づいたものでね、かえるが鶏に乗って月に行って帰ってくると早起きは三文の得だ、というね、蛙鶏月還という四字熟語でも知られてるはずだよね。知ってるでしょう?」
「知りませんよ。いま適当に考えましたね。」
「いやいや。それはそうと、そっちのは何?どのへんが酉年なの?鶏いないじゃん鶏。羽らしいものは描いてあるけど。羽だけ描けばいいってモンじゃないでしょう。鶏を描くという年賀状そもそもの本義を忘れ、安きに流れた安直な発想だよね。」
「あなたが安直といいますか。」
「それは言うでしょう。そもそも、何の絵だかわからないものに、FROG ANGELなんて、字を書いて、天使であることを説明しようというのは、画力のなさをテキストで誤魔化す安易な方法でしょう。」
「天使の像に乗ってるかえるですよ。羽がついていれば酉年の絵にしてもいいじゃないですか。その点を批判される覚えはないですよ。鶏描くの苦手なんですよ。これは、一応ベルリン天使の詩、っていう映画があって、その一シーンから借りてきたつもりなんですが。」
「ああ、あの映画。私は3回も見たけど、全部開始5分で寝たからよく覚えていないな。」
「私は4回見て、開始30分までは頑張りました。」
「それで勝ったと思わないように。これでも私は『ランボー3怒りのアフガン』を通しで見たことがあるよ。寝ないで。」
「それはそれで凄いことですが。」

〜かえるクラブにおける会話の一こまから〜

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