2006年年賀状
お年賀2006

お年賀2006

「いや〜めでたいですな。」
「めでたいですか。」
「めでたいでしょう」
「何で?」
「いや、正月だし。」
「ああ、正月ですか。で、何で?。」
「いや、何でってあなた、正月はめでたいでしょう。正月は。」
「正月ったって何も面白いことないですからね。めでたいっていっても別に。」
「まあいいや。とりあえず正月ですね。」
「ああ、正月ですね。」
「さあ、今年は何年でしょう?」
「そんなことも忘れたんかね。もうボケがかなり進行してるな。」
「すこし話の流れを考えようじゃないの。わからないから聞いてるわけじゃないって。もういいです。戌年ですね。」
「当たり前だね。酉年のつぎは戌年に決まってる。」
「今年も二人とも、年賀状を出しましたね。」
「習慣だからね。」
「その年賀状の絵について、話し合おうと、こういうわけですよ。」
「何でそんなことしなきゃならんの。」
「それはまぁ、ほら、かえるクラブに画像をアップしたいからね、とりあえず何か書いとこうと思って。」
「そのまんま書いときゃいいじゃん。犬と蛙じゃ!って」
「それだとちょっと寂しいじゃないですか。とりあえず、どういう思想がここに込められていてとかそういうね、解説を入れておきたいと思わないですかね。」
「別に。」
「淡白ですねぇ。じゃあ、インタビュー形式でね、質問に答えてくれればいいから。まず、これは何の絵でしょう?」
「何だその質問、見たらわからん下手な絵、ってこと?」
「いやいや、そういう意味じゃなくて。きっかけとしての質問だって。蛙を引いて歩く犬の銅像なんでしょ?それくらいは何となくわかりますよ。そうじゃなくて、何を表した絵なのか、そのバックグラウンドにある思想を聞きたいと、要するに何を伝えたいかと、そういうわけですよ。」
「思想?思想って何?。蛙と犬の銅像だよ。それだけ。意味がよくわかんないから、まず、自分の描いた絵の思想を言いなさいよ。ほい、これは何の絵?」
「これは・・・蛙と犬がピクニックに行って一緒にお茶飲んでる図ですよ。」
「それだったら私のコメントと大差ないじゃないか。思想は?」
「思想はねぇ・・まず、このね、チェック柄のシートがチェスの象徴であってね、一定のルールの中に組み込まれた勝負を表してるわけです。その世界の中にね、水中から地上への移行ができることから、自由思想を表す、すなわち、アナーキズムの象徴ともいえる蛙と、飼い主に従順で、場合によっては極めて戦闘的な、愛国心、パトリオティズムの象徴といえる犬とがね、同じ土俵の中で友好的に対話を行っている、そういう対立する思想軸の対決から生まれる新しい地平、ヘーゲル流に言えば、“止揚”ですね、そういったものを表しています。」
「あんまり笑えないな。」
「いや、別にギャグを言ってるわけではないですよ。失礼な。この絵を描くにあたっては、もう、その背景から何から考えに考え抜いてこうね、世界平和とかいろいろ考慮して構成したんだから。」
「さらに笑えない冗談を積み重ねるとは、何か恨みでも?」
「だから冗談じゃないんだってば!」
「何だ、冗談じゃないのか。じゃあ興味ないや。」
「いや、あんたが聞いたんじゃないか。」
「最近物覚えが悪くてね。」
「会話にならないなぁ。」
「いや、もうちょっと話を聞きなさい。眉毛なんだよ眉毛。」
「は?眉毛がどうしたの。」
「眉毛がねぇ太い人を見たんだよ、こないだ。で、ああ、眉毛が太いなぁと思っていたら、何となく西郷隆盛をね、思い出したんだね。」
「西郷隆盛?ああ、確かに眉毛が濃そうな感じはあるけど。」
「で、顔がブルドックに似てるじゃない。」
「え?誰が?西郷隆盛が?」
「そうそう。だからね、上野の西郷隆盛像のイメージで描いたんだよ。あの絵。ほんとは蛙が西郷隆盛を連れてる絵にしようと思ったんだけど、ちょっと人面犬みたいで怖かったよ。」
「まあ確かに西郷隆盛顔の犬は、気持ち悪いけど。」
「これが私があの絵を描いた思想かな。」
「何のことやらさっぱりわからない。まあ、でもこれでコメント欄も十分埋まるからいいや。」

〜かえるクラブにおける会話の一こまから〜

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