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ルイジ・ガルヴァーニ〜現代は「蛙」からはじまった〜

 ※ 引用文中、文字フォント、文字色等を変更して強調している部分は、当サイトで付したもので、原文とは関係ありません。
 現代社会は、「電気」の社会です。誰が何と言おうとそうです。というかそういうことにしてください。お願いします。身の回りにあるもののほとんどが、電気がなければ考えられないものばかり。この文章を構成し、記憶し、表示しているパソコンはもちろんのこと、掃除・洗濯・炊事という日常生活に欠かせない家事分野にいかに電化製品が多いかを考えるだけでも、「電気」というものがなかったら、「現代」もない、ということが理解できると思います。
 この、現代を開いた「電気」は、実は「蛙」が非常に重要なキーワードとなっていることはご存知でしょうか?現代社会は「蛙」が作り上げたといっても・・・まあこれは過言でしょうが。

■ 18世紀までの「電気」 ■

 映画「ジュラシック・パーク」の中に出てくる恐竜は、琥珀の中に閉じ込められた蚊から、恐竜の血液を取り出してDNA解析し、解析しきれない部分については、現代の生物「蛙」のDNAで補完して作られたことになっています。「琥珀」というのは宝石の一種ですが、これは樹液が固まって化石になったもの。だから、虫とかが入ってるケースもあるわけです。ごく稀には、「蛙」が入ったものもあるとか。ぜひ、蛙の入った琥珀をお守りにしたいものです。

 さて、今回は、琥珀の中身ではなく、琥珀そのものからお話をはじめます。
 古代ギリシャでは、この「琥珀」をこすると、ものを吸い付ける力があることが知られていました。紀元前600年頃の哲学者タレスがこの現象を発見したと言われます。そう、下敷きをこすって頭に持っていくと髪の毛が吸い付く、あの静電気現象です。

 ものを吸い付ける性質そのものは知られていても、まあ、そういうものだ、ということで、特にその現象が役にたつこともなく、長い間、この現象に関する知識に全く進展はありませんでした。16世紀末、イギリスのギルバートは、この現象に興味を持ち、様々なものを擦ってみて、琥珀のほかにも、硫黄であるとか、ガラスであるとか、いろんな物質に同様の現象が見られることを見い出しました。そして、この「こすったものが、軽いものを引き付ける現象」を、琥珀を意味するラテン語electrumから、「electrica」と名付けました。英語なんかで電気を表す「エレクトリシティ」の語源ですね。最初に静電気が発見されたのが、琥珀でなかったら、当然この言葉も変わっていて、エレキギターとか言わなかったはず。当たり前ですね。すいません。

 17世紀に入ると、静電気を多量に作る機械を発明する人が出てきます。
 そして、この機械を使った実験で、電気には吸い付ける力だけでなく反発する力となる場合もあることがわかってきました。また、電気を帯びた物質の側に帯びていない物質を置くと、その物質も電気を帯びるという、「静電誘導」現象が発見されます。

 そして18世紀。
 1729年、金属などに摩擦電気現象が見られないのは、金属が電気を逃がしやすいから、ということがわかり、「導体」と「絶縁体」の区分が生まれ、絶縁体には電気が動かずに留まるということから、「静」電気という概念が生まれます。
 1733年には、電気に引き合うものと反発し合うものとがあるのは、電気には2種類あって、同種のもの同士は反発して、異種のものは引き合う性質があるからだ、ということがわかります。この原理を発見したフランスのデュフェーは、それぞれ2種類の電気の代表として、ガラスを絹でこすったときにガラスに生じる電気を「ガラス電気」、樹脂を毛皮でこすった時に樹脂に生じる電気を「樹脂電気」と名付けました。
 アメリカの政治家で学者の、あの有名なフランクリンは、この2種類の電気を、2種類の異なる電気の素があって、それが分離するのではなく、電気の素は一種類で、片方からもう片方に移動することで、一方はその電気の素が「過剰」、もう一方は「不足」するのが、静電気だと考えました。そこで、「ガラス電気」を「プラス」、樹脂電気を「マイナス」と呼んだのです。今でもこの名前は使ってますね。

 さて、1746年にはライデン瓶など静電気を多量に蓄積する道具も開発されましたが、依然、電気というのは見せ物として人にショックを与えるぐらいの役にしかたたない現象でした。電気に関する研究でこの時代もっとも社会に貢献したのは、プラスマイナスの名付け親フランクリンでしょう。フランクリンは、1752年、有名な凧を使った実験により、雷の性質が静電気と同質であることを証明し、静電気が金属の尖った部分から受け入れ、または放出しやすいという性質を持っていることから、「避雷針」を発明、雷による被害を激減させたのです。

 しかし、これらの静電気の研究は、今利用している電気と大きな断絶があります。静電気は溜めることが出来ても、継続して電流を発生させることは出来ません。流れるのは、放電する一瞬。これでは、電流の性質を調べる、というより「電流」という概念自体が出てきません。電気の研究が磁気の研究と結びつき、電磁気学として発展し、さらに量子力学として結実していくためには、言い換えれば、現代の電気による文明の基礎となる考え方が出てくるためには、継続して安定した電気の流れが不可欠なのです。

 いつになったら蛙の話になるのかという方、もう少しお待ちください。

■ ガルヴァーニの「動物電気」 ■

ガルヴァーニ  ルイジ・ガルヴァーニは、1737年に生まれ、イタリアのボローニア大学の産科学教授であり、解剖学を中心に研究を行っていました。物理学者というよりは、お医者さん、生理学者ですね。彼の関心は、筋肉の運動や神経の仕組みにあって、蛙を使った実験もよくやっていたようです。
 一方、静電気は、身体にピリっとくるあの感触が、病気の治療に使えるんじゃないか、ということで、お医者さんは大体、摩擦起電機をもっていたわけです。ガルヴァーニも当然持ってました。また、あの「着けてるだけで腹筋運動」みたいな健康機具ではありませんが、静電気のショックで筋肉が収縮することも知られていました。
実験1  ガルヴァーニも、蛙の脊髄神経を露出させて、そこに、起電機からの電気を流す実験を行っていました。実験の様子が描かれたエッチングを見ると、ライデン瓶やら起電機やらの絵が見えます。蛙の見るも無惨な姿にちょっとひいてしまう管理人(絵の出典については、後ほど。以下同じ。クリックすると大きく表示します)。

 さて、蛙の脊髄神経に放電すると、蛙の足は痙攣します。ここまでは、ガルヴァーニも予想していた範囲内だったと思います。しかし、実験を続けるうちに、起電機から直接接続されていなくても、放電のたびに痙攣することがわかりました。(別の話では、蛙のスープを作るために置いてあった蛙の足が、起電機の放電のときに痙攣するのを、ガルヴァーニの奥さんが見つけたのがきっかけ、というようなのもあります。)

実験2  ガルヴァーニは、この現象が、空中電気によるものと考えて、雷でも同じ現象が起るだろうと予測しました。そこで、脊髄神経と避雷針を接続して、痙攣するかどうかを調べたのです。雷が鳴ると、確かに蛙の足は痙攣を起こしました。こうした実験を積み重ねて、ガルヴァーニは、痙攣の起るのは電気が蛙の足を流れた結果であることを明らかにするのですが、ある時、蛙の神経に真鍮のフックを取り付けて、それを屋外の鉄柵にひっかけておいたところ、足が鉄柵に触れると、天気に関係なく痙攣がおこる場合があることを発見します。この現象から、さらに実験を進めた彼は、異なった2種の金属で神経に触れることのみで、蛙の足が痙攣するという大発見をします。1780年のことだと言われています。

実験3  ガルヴァーニは様々な金属を使って、何度も実験を繰り返しました。実に10年以上です。絵を見てください。いったい何匹の蛙が犠牲になったのでしょうか?管理人は手を合わさずにはいられません。そういった犠牲のおかげで、彼は、金属の接触のみで痙攣が起ることや、金属の種類、組み合わせによって、痙攣の強さが異なることなどを確認し、一つの結論に達します。
実験4  「蛙の身体自身が電気を発生していて、それを金属で接続することで放電して痙攣が生ずる」ということです。動物は、自分の身体の中で電気を生産して、それを刺激の伝達や、筋肉の収縮に用いているという証明ができたものと考えたのです。彼はこれを「動物電気」と名付けました。

 ガルヴァーニは、それまでの研究結果をまとめて、1791年、「筋肉運動による電気の力」(De viribus electricitatis in motu musculari)として発表しました。これは、現在、ボローニア大学のサイトに原書の画像が公開されています。実験風景のエッチング画は、このサイトに公開されていたものです。

 この発表は、注目を集め、追試が行われ、今までの静電気とは異なる新しい電気現象として、「ガルヴァーニ電気」と名付けられました。今でも電流計のことを「ガルヴァノメーター」というのは、この名残りです。

■ ボルタの電堆(でんたい) ■

 イタリアのボルタ(「君の瞳は100万ボルト」のボルタさんです。)は、この実験結果の説明に疑問を持ちました。蛙の足に電気が発生したのではなく、「2種の金属の接触によって」金属に発生した電気が蛙の足に流れたと考えるべきではないか、と考えたわけです。彼がこのように考えた背景には、1750年にドイツのズルツアーという人が、味覚の実験で発見したことを知っていたことがあります。ズルツアーは、異なる金属を接触させて、もう一方で舌を挟むと妙な味がすることを報告していたのです。
ボルタの電堆  この発想に立ってしまえば、電気が流れるには、蛙の足のような動物体は必要なくて、異なる2種の金属を湿ったものにくっつけて、金属同士を銅線か何かで繋いでやればいい、ということが明らかになるのにそう時間はかかりません。1799年に、ボルタは、銅板と亜鉛板との間に塩水をしみこませた紙を挟んだものを幾つも積み重ねた「電堆」つまり、電池の元祖を発明しました。すぐ後には、塩水ではなく希硫酸を使った「電池」を発明、そして、これらの研究結果を取りまとめた「異種の導体の単なる接触により起る電気」(On the Electricity Excited by the Mere Contact with Conducting Substances of Different Kinds.)を1800年に発表し、連続して流れる電気、つまり静電気に対する動電気がはじめて人々の前にあらわれることになったのです。

※ はじめて人類が用いた動電気、という意味では、イラクの首都バクダッドで1936年に発見された、約2000年前のものと見られる出土品が、電池であったという説もあるそうですが・・・ホントに電池として使われていたかどうかは疑問も多いようですし、電池であったとしても、その後にまったく伝えられることなく途絶えてしまっていて、当時の人は知りませんでした。

 ボルタの電池がどうして電流を生むのが、そのあたりを解説する力は、根っから文系の管理人にはありませんが、無理を承知で言いましょう。硫酸は、水のなかで、水素イオン(+)と硫酸イオン(−)として存在してます。この中に亜鉛と銅を入れると、銅に比べてイオン化傾向の大きい亜鉛は、希硫酸の中に溶け出します。亜鉛は溶け出るとき、電子を二つ残して、亜鉛イオン(+)になります。亜鉛イオンに追いやられた水素イオンは、銅の方に寄っていって、銅のところで電子を一個もらって、水素分子になって出ていきます。こうして、亜鉛側から銅側に電子の流れができて、電気が流れると、こういうわけです(自分で何言ってるんだかわかりません)。もちろん、この当時はイオンや電子など知られてはおらず、電気が発生する仕組みは不明でした。

 ガルヴァーニの実験では、蛙の足が電解質になって、電気が流れたわけですね。蛙電池だったと。

 電池の発明以降、動電気が扱えるようになった19世紀の学者たちは、エルステッドの電気の磁気作用発見、アンペールの法則、オームの法則等教科書に出てくる法則がめじろ押しという状況になりました。そして、1831年、ファラデーが電磁誘導現象を発見、電気と磁気が非常に密接な関係があることがわかると、電磁気学が始まり、また、磁石とコイルによって、発電することが可能になり、電力が産業の中に持ち込まれるようになるなど、現代電気文明へ一直線にかけ登っていくことになります。

 ガルヴァーニの実験がなければ、ボルタの電池もなく、電池がなければ動電気の研究は行われず、その研究がなければ現代社会もあり得なかった、という点、つまり、蛙の貴い犠牲がなければ、私はこんなところで下らない文章をパソコンで打ち、ネットで発表するようなことはできなかった(そんなことはしない方がましだ!というご意見も多々あるという点は別にして)、ということがお分かりいただけたかと思います。

■ 終わりに ■

 蛙の足が痙攣した現象の説明としては、ガルヴァーニの「動物電気」説は確かに間違っていたわけですが、生物が電気を発生させ、一部、電気によって刺激を伝達していることはまぎれもない事実です。細胞は、一定のイオンを選択的に排出/取入するポンプによってマイナスに帯電しています。神経細胞が刺激を受けた場合、外部からの圧力等で開くイオンチャネルが電位をプラスに反転させて、その電位の変化によって隣の細胞のイオンチャネルが開く、というように、電気のリレーを行われているのです(これも何言ってんだかわかりません。ごめんなさい。)。

 一個のイオンチャネルの働きを調べるには、その一個における電流記録を取る必要が出てきます。その画期的な実験方法である「パッチクランプ法」は、この実験法の開発者であるネーアーとザクマンに、ノーベル医学生理学賞をもたらすほどの重要なものでしたが、その皮切りとなった1976年のNature掲載の論文は、「カエル脱神経筋繊維膜の単一チャネルを通って流れる電流の測定」。

 ガルヴァーニは、筋肉の運動等の生理学的成果を求めて、「動物電気」を提唱し、その実験から電気の本格的な研究が進み、その電気に関する知識の増大によって、はじめて本物の「動物電気」を捉えることができるようになったわけです。ガルヴァーニの頃も、そして、電気生理学の最先端でも(もちろん、その他の分野でも)蛙は大活躍

 科学技術の進歩のため、今までに何匹の蛙が犠牲になったのか、そして、その蛙たちがいかに大きな成果を人類にもたらしたか、そういうことを再確認して、蛙への感謝の気持ちいっぱいになりながら(管理人だけ?そうですか。)、この文章を締めくくりましょう。

 せめてパソコンのスイッチを入れるたび、蛙のために合掌することをお忘れずに!

参考文献 :藤村哲夫「電気発見物語」2002.4.20 講談社ブルーバックス
      山崎俊雄、木本忠昭「新版 電気の技術史」1992.12.18 オーム社
      ネイチャー特別編集「知の歴史」2002.10.31 徳間書店
      皆神龍太郎 他「新 トンデモ超常現象56の真相」2001.8.3 太田出版
参考サイト:University of Bologna
      曙文庫(金沢工業大学)

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