さて、ますます快調な先生の映画評。あまりに快調で、ある日本の映画評論家のこんな言葉を思い出したよ。「貴方の心には何が残りましたか?」。TVチャンピョンとか見た後、そのままテレビ東京で映画を見ちゃって、しかも題名が「ヘルクレイム 暴力学級」みたいな思いきりB級で、すごく時間を無駄にした気分のときにこの言葉を聴いたときのことをね、思い出しました。意味?意味なんか別にないけど。はっはっは。
話は唐突に、フェリスはある朝突然に、変っちゃうわけだけど、童話っていいよねー。めるへん。ふぁんたじ。似合わない?そんなことはないぞー。先生は夢見るかえる歴3.14πr二乗ってもんだからねー。はっはっは。ああ、なんかファンタが飲みたくなるね。ファンタジーなんて聞くと。ファンタオレンジ。ただの駄洒落?違う違う。ファンタジー小説を読みながらファンタオレンジを飲んだという先生のね、個人的特異体験からきてるんだよ。これは。どっちでもいい?いや、グレープかオレンジか、ってのはそんなにどーでもいい話題ではないぞー。重要重要。オレンジ。オレンジですよ。はっはっは。
童話っていえばねー、やっぱグリム童話だよねー。グリムに、蛙の王子が出てくる話があったね。あの辺りも映画化するといいんだけどね。ぜひ蛙役には先生を起用して欲しいねー。日本語を解する蛙だし、演技指導なんかもしやすいと思うぞー。ビジュアル面には自信あるしねー。蛙であっても王子の風格がにじみ出たりなんかしてね。もう存在自体が役者なんて評価受けたり。アカデミー賞ノミネート。蛙としては初の主演男優賞受賞。その後は出演のオファーが押し寄せて、一作あたりの出演料は10億円。・・・・夢は広がるねー。はっはっは。
まあ、そんなことはともかく、今日取り上げようという映画は、ロシア民話のアニメーションなんだ。今日、先生の口数が少ないのも、いや、少ないんだってば。どうにもね、この映画の切り口がよく見えなくてね。得意のジョーク、エスプリ、ユーモアが飛ばせないんだよねー。ン?みんな何で嬉しそうな顔するんだ?まーいーけどねー。とにかくそーなると必然的に口のまわりも悪くなると。まあこういうわけです。もう充分喋ってる?そんなことないぞー。いつもより滑舌17分の9ぐらいだな。はっはっは。
えっとねー、ロシアが昔ソ連だった時代があります。ソビエト。昔っていってもね、キリストが生まれたよりは後。お釈迦様が生まれた時よりも後。ピラミッドが建った時より後。どんどん古くなってる?そーかぁ?でも、別に間違ってはないはずだぞー。はっはっは。とにかく先生が子供の頃はソ連だったんだよ。実際。
社会の授業なんかでね、コルホーズとかね、ソフホーズとかね、5ヵ年計画が何とかとかね、いろいろ覚えさせられたような気がすんだけど、全部なくなっちゃいましたねー。跡形もなく。はっはっは。
そういうね、真面目で堅そうな社会主義国家ソ連がね、真面目で堅い子供の情操教育用のアニメを量産した頃があったんだけどね。その中のひとつに「蛙になったお姫さま」というね、スンバらしい作品があるんだよ。これを紹介しないわけにはいかんいかんのスカンジナビア航空ってなわけで、もう、何はさておき江戸ムラサキの黒頭巾、その手は桑名の焼きハマグリ、おそれ入谷の鬼子母神、これにて因幡の白兎、あたり前田のクラッカー。いそいで映像資料を確認しましたよ先生は。これもかわいい生徒のためっちゅーことでね。はっはっは。日本語字幕つきで、DVDが出ておりました。クラシカルな名作をDVD化しているIVCから。
題名から判断するに、きっと、人間としての生活に嫌気がさして、生きる望みを失ったお姫様が、魔法で美しい蛙に変身して、幸せに暮らす話だと思うだろー。思わない?なぜだー?蛙はいいぞー!!はっはっは。
実際にはねー、蛙になるのが嫌みたいなんだよ。おかしいじゃないか。なぜ、この先生のように美しーい蛙になるのが嫌なのか、理解に苦しむよ。まったくね。人間なんて不自由な枠に押し込まれるってのは、これは不幸ですよ。その不幸から抜け出せるんだからねぇ。喜ばないと。はっはっは。
まずね、ワシリーサってお姫さまが登場する。どこの城の、ってこともないみたいで、野原をふらふらしてるんだ。何者?って気もするけどね。うん。そこに、カシチェイって悪い魔法使いが登場。ワシリーサに結婚を迫るんだけど、ワシリーサは相手にしない。カシチェイってよく聞く名前だね。ロシアの民話にはよく出てくるらしいよ。ほらほら、ストラヴィンスキーのバレエ音楽に「火の鳥」ってあるでしょ。あるんだよ。そのね、ファイナルは、ホルンのソロから始まるとっても感動的な曲なんだけどね・・・うーん。先生の趣味のよさがどーしても出てしまうねー。はっはっは。いや、それで、ファイナルの前はね、荒々しい稲妻のような曲でね、その曲が「カシチェイ王の凶悪な踊り」って曲なんだ。単に思い出しただけ。はっはっは。
カシチェイ王は、何でも黄金に替えられる不死身の魔法使いで、ワシリーサが自分を嫌っているのに腹を立てて、ワシリーサを蛙にしてしまう。いーじゃない。蛙。えっらい美蛙だよ。睫毛長いし。蛙に睫毛があったかどうかは別として。先生が惚れてしまうくらいだねー。はっはっは。どーやらね、カシチェイは、ワシリーサを醜くしようとしたらしーけど、これは失敗だよね。かえってよくなっちゃったから。ん?みんなあんまり同意してないみたいだなー。美的センスが狂ってるぞー。蛙のね、均整の取れたプロポーションと無駄のないフォルムに内在する永遠の美をね、ダイヤモンドは永遠の輝きBYデビアスをね、理解できないよーじゃー、到底一流にはなれないなー。何の一流かって?何でもだよ。とにかく、世の中、一流と呼ばれるには蛙の美しさを、もっと言えばね、先生の美しさを認めなきゃいかんの。何でって、そりゃー「最も美しく、また尊いものは蛙である。」「蛙は全ての美を包含する、エターナルな存在である。」というゲーテのね、言葉ですよ。・・・・って真っ赤な嘘。はっはっは。
場面は変わって、お城。あったりまえながら王様がいて、あと、3人の王子がいる。王様は、3人の王子に矢を射らせ、それぞれ自分の射た矢を拾った人を妻にするよう命じるんだ。危ないよね。人がいっぱいいるところに矢が落ちたらこりゃ誰かにあたっちゃう可能性大だし、かといって人のいないところに落ちたら誰も拾わずに、結婚相手がいないことになっちゃうし。無茶だと誰もが思いそうなもんだけど、王様には王様なりの運命論、宿命論的な理屈があるらしくてね、とにかくそういう命令をする。こりゃもう展開が予想できちゃうよね。3人いたら、末っ子が事件に巻き込まれるのが童話の基本だからね。きっと末っ子がイワンって名前なんだろーね、と思ってたらやっぱりイワンだったねー。
予想通り上の2人はごく普通の人が拾うんだけど、3人目はね、ワシリーサ蛙が拾う。先生ならね、ここでおー喜びするところなんだけどねー。王子は実に嫌そうだ。ふざけた奴だな。まったく。そんな美蛙と結婚できるという幸運を手に入れた事実と、その幸運を幸運と感じない鈍感さとね、もうその二点で先生はこの王子が大っ嫌いです。何を怒ってるのかって?先生はね、いろいろ苦労して苦労して苦労して苦労して・・・・でもまだいい人、じゃなくていい蛙に出会わないのにこの王子ときたら、なんだ全く・・・・・ふざけんじゃないぞ・・・ぶつぶつぶつぶつ。はっ、失礼失礼。ちょっと自分の殻に入っちゃったかなー。はっはっは。
で、それぞれ新婚生活をはじめた王子たちに、王様はメンドクサイことをいうわけだ。まあ、何か言わんと話が始まんないけどねー。壁飾りにする絹の刺繍をお妃にさせろ、と。そういう命令をする。
蛙差別意識に凝り固まってる王子は、もうそれを聞いただけで、「蛙になんかできるわけない」と悲嘆にくれて、寝てしまうんだ。少しは何とかしろよ、と言いたくなるほどただ嘆くだけ。でもワシリーサ蛙は、王子が寝ている間に蛙の皮を脱いで、人間に戻り、見事な刺繍を仕上げる。
一方、上の二人の王子の奥さんは、ばあやを呼んで、刺繍をするよう言い付ける。ばあやは侍女に命令して、侍女は小間使いに命令して、小間使いは、元兵隊で門番のおじいさんに命令する。おじいさんが頑張って2枚の刺繍を仕上げるわけだ。この辺はテンポのいいオペレッタ風で、結構楽しい。おじいさんが刺繍をしている様子が、「會議は踊る」っていうドイツの映画があるんだけどね、その中にでてくるロシア皇帝の影武者がやっぱり刺繍してて、ボルガの舟歌かなんかを歌いながらね。エイコーラ エイコーラ おとーちゃんのためぇえなぁらえぇーんやこーらぁ、ちょっと違う?クレージーキャッツのギャグなんだけどねー。はっはっは。まあとにかく、その様子によく似てんだよ。ロシアでは、男性が刺繍をするのもよくあることなのだろーかねー。はっはっは。
翌日、出来上がったものを王様が見ると、上の2人が持ってきたものは、地味でみすぼらしいできだったのに、蛙の作ったのがもう、それはそれは素晴らしいできで、王様は大喜び。喜びついでに、パーティーを開くことにして、3人の王子に妻を連れてくるよう命令する。
やっぱり著しく蛙差別主義者な王子は「蛙をパーティーになんか連れて行けない」と嘆く。まったくしつれーな話だよ。連れて行けばもう、パーティーの主役はあんたできまりっっ!!ってなもんですよ。何で嫌なのか理解に苦しむね。先生としては。
ワシリーサ蛙は、後から行くから心配しないようにと王子を先に行かせる。パーティーが始まってしばらくすると、雷鳴がとどろいて、立派な馬車が到着する。馬車には人間に戻ったワシリーサが乗ってたと。王子はねー、ここではじめてワシリーサの姿を見るわけだけど、もうね、態度がぜんっぜん違うんだよ。一目ぼれだよ。先生もねー、こういう話を見るたんびに思うんだけどね、人は外見じゃないよ、っていうテーマは実は決して成立しないんじゃないかとね、やっぱり外見だよ、というそういうね、ア・プリオリな結論を何度も確認させられるような気がするねー。先生は外見がいいから問題ないけど。ん?何か疑問でもある?はっはっは。
で、王子は、また蛙に戻られたらかなわん、とばかりに先に家に戻って、脱ぎ捨ててあった蛙の皮を暖炉にくべて燃やしちゃう。これだもん。もうちょっと考えてこーどーせーやって話だよねー。まったく。予想通りというか何というか、ワシリーサは魔法の力でカシチェイ王に囚われちゃう。
王子はカシチェイ王の城を探す旅に出る。途中で、不思議なじいさんが登場して、杖を折った木切れにきのこの帽子をかぶせたものに王子を案内させる。王子はその木切れについて行きながら、動物を見つけては弓矢で射ろうとする。動物は命乞いをして、助けてもらったお礼に恩返しを約束するんだけど、先生には、片っ端から兵器で脅迫して協力を迫る、某国なんかを思い出すよ。やな奴。はっはっは。とにかく王子は、そんなこんなで、熊、狼、鷹(プラス鷹の雛)、カマスの協力を取り付けるわけだ。
木切れが案内したのは、かのゆーめーな「バーバ・ヤガー」の小屋。バーバ・ヤガーってのはロシアの山姥なわけだけど、ムソルグスキーの「展覧会の絵」って組曲に「バーバ・ヤガーの小屋」って曲があるよね。先生は、その曲の説明で、この小屋が「鶏の足の上に建ってる」ってのを読んだことがあったんだけど、この時先生が想像したのは、でっかぁーい鶏がいて、その鶏の足の指の上に、ちっちゃい小屋が建ってる情景だったんだよ。この映画を見て、その想像が間違っていたことがわかりました。正解は、小屋に、一本足が生えてて、小屋がグルグル回ってる、って状況だったねー。当たり前?そーかー?当たり前かぁ?はっはっは。
バーバ・ヤガーは人を喰ったりする怖いキャラクターで登場することが多いけど、このお話では王子の味方。不死身のカシチェイのたった一つの弱点を教えてくれる。特殊な針を使うとカシチェイの命を奪うことができるんだと。んで、その針がどこにあるかというと、卵の中。その卵は鴨の中にあって、その鴨は兎の中にいて、兎はトランクの中にいて、そのトランクは高い樫の木にぶら下がってて、その樫の木は、絶海の孤島にあって、しかもカシチェイがいつも見張っているという、弱点は徹底的に隠蔽するカシチェイ王のリスク管理体制の厳密さを感じさせる状況なんだなー。ルパン三世が盗みたがりそうな品物だねー。
とりあえず、その孤島に行かにゃならん、ってことでバーバ・ヤガーはペガサスを貸してくれる。王子はその背中にのって一気に孤島へ。孤島では、首が三つで羽がある、あのゴジラと闘った金星からきた怪獣みたいなのがいて、あ、金色じゃないけどね、炎を吐く。カシチェイは、王子が孤島にたどり着いたのを、魔法の鏡で見て知ってるんだけど、そういうおっそろしー怪物を見張りにつけているので安心して観戦。
炎に巻かれながらも剣を振るう王子と怪物の対戦は王子の勝利となって、カシチェイは慌てて、鳥に変身して現場に向かう。王子は樫の木を倒そうとするが、頑丈な木はびくともしない。そこへ、なぜか孤島であったはずの場所にひょっこりと、恩返しを約束した熊が登場して木を倒す。律儀このうえないねー。ペガサスの後をずーっと泳いでついてきてたのかね。木が倒れると、トランクから兎が飛び出して、逃げる。逃げた兎を恩返しを約束した狼が捕らえる。中から鴨が飛び出して空に逃げる。そこに恩返しを約束した・・・何度も言う必要はない?オーケーオーケー。鷹がやってきて鴨を捕らえる。卵が飛び出て、そのまま転がる。王子は追いかけるけれど、そのまま海に落ちてしまう。王子が嘆いていると、カマスが卵を拾ってきてくれる。王子は卵を割ろうとするんだけど、石より堅くてまったく割れない。
そーこーしているうちに、カシチェイが迫る。王子も弓矢や、剣で対抗するが、不死身のカシチェイには全く通用しない。そこへ鷹の雛がやってきて、卵を割るのは俺に任せろとばかりにくちばしでつつくと、卵が簡単に割れる。
中から出てきた針をやじりにして、王子が放った矢は、見事カシチェイに命中、カシチェイは息絶える。このあたりの展開は、とってもスピーディで、「こんな孤島にどうやって皆やってきたんだろう」という根本的な疑問を無視することができればいい場面だぞー。はっはっは。
後はもう、王子がワシリーサを助けて、めでたしめでたしで終わるという、まあよくある昔話って風情だな。うん。
でも、先生はここまで映画を見て、はた、と気がつきました。そーいえば「はた」と気付くの「はた」ってなんだろうね?とにかく気が付いたんだよ。この話は結局のところ、若い二人の結婚と、それに反対する父親という、よくある話を象徴してんだよ。絶対。
まずね、カシチェイ王は父権の象徴で、ワシリーサはその父権の中で抑圧される娘なわけだ。カシチェイがワシリーサを蛙に変える、お、期せずしてシャレだね。かえるにかえる。はっはっは。そのなんだ、蛙に変える・・・はっはっはっはっは。蛙に変えるに替えるに買えるが帰るので、飼える孵るは還る蛙。はっはっはっはっはっはっはっはっはっは。いー加減にしろ?面白いだろ?面白くない?はいはい。
蛙に変えるのは、娘と男性との付き合いを制限する父権の発動であり、これは例えば、著しく厳しい門限みたいなもんだね。5時までには帰れ、とかそういうやつ。でもその、がんじがらめの制限の中でも、弓矢で象徴される愛のきっかけというか衝動というか、まあ、出会いというやつが、王子とワシリーサの間に生まれる。ワシリーサは強力な父権の影響下にあって、二人の仲は発展しない。が、ワシリーサが蛙の皮を脱いで、父権の影響下から僅かにはみだした時、相手の男性、つまり王子の方が激情に駆られて、父親がワシリーサに課していた制限を無効にさせ、ワシリーサが決定的にカシチェイが課した制限を破棄せざるをえない状況を作ってしまう。たとえて言えば、いつも5時だった門限が、たまたま父親が帰るのが遅くなるかなにかで9時になってデートしていたら、男の方が盛り上がって娘を帰さず、そのまま泊りになってしまうような状況だねー。当然、父権はそれに対して強烈に反
発するわなぁ。うん。蛙の皮を焼かれたワシリーサが、カシチェイの国に囚われの身になるのは、これはもう、約束を破った娘に外出禁止令を出して、男との付き合いを一切認めない父親そのものでしょ。そーでしょ。そうだって。バーバ・ヤガーは娘の母親の象徴で、父親の泣き所を押えている。娘と男の結婚には賛成という立場。男に協力して父親の説得方法を教えるわけだ。母親の強力な協力を得て、はぅっ、強力な協力。また期せずしてシャレだなー。はっはっは。強力な協力・・・はっはっは。はっはっは。はっはっは。しつこい?わかったわかった。
男は父親を説得し、娘との結婚を認めさせる。男が娘と結婚することで、娘は父権の影響下から完全に脱し、父権は崩壊する。その、父権の崩壊が、カシチェイ王の死として表現されるわけだ。
ね、こうやって見てみると、さっき言ったとおり、突き詰めてしまえば、厳格な父親を持つ娘と、一度その父親の不興をかった青年との恋と、青年が父親を説得して、結婚の承諾を得る有様を描いた、あの大ヒットインド映画「シャールクカーンのDDLJラブゲット大作戦」と同じモチーフだったわけだねー。意味わかんない?なぜだー!!
この映画の評価だけどねー、もう美形の蛙が出てくるってことで、蛙的には満点でしょう。ただし、せっかく美形を登場させているのに、その象徴するところが「醜いもの」というのはね、最低だけど。あと王子最低。いや、個人的恨みじゃなくて。人的にいうと、いわゆるアニメ絵ではなくて、写実的絵画的なアニメーションなので、芸術性が高くてよろしいんじゃないかなー。アイアム芸術ってな先生がユーことだから間違いないぞー。はっはっは。
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