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蛙神 −これで開運間違いなし!−

 ※ 引用文中、文字フォント、文字色等を変更して強調している部分は、当サイトで付したもので、原文とは関係ありません。

■ 蛙の神を探して ■

 「蛙の神」といったらどういうものを想像するでしょうか。ヒキガエル系の姿をした巨大な蛙が鎮座まします姿はなかなか神秘的で思索的だと思いますがどうでしょう?
ガマゴン大王  しかし、疣だらけのヌメっとした様子を西洋風に捉えれば、明らかにこれは「邪神」になりそうです。

 「クトゥルー神話」という、ラヴクラフトという作家が作り出した作品世界があります。その後も様々な小説家がこの架空の神話を題材にとって小説を書いているため、独特の世界観を持った一ジャンルを形成しています。魔道書「ネクロノミコン」なんて名前、どっかで聞いた覚えはありませんか?
 この、クトゥルー世界において、蛙の姿をした、もうどこから見ても「邪神」という神が登場します。その名も「ツアトゥグァ」。
 いろんな人のいろんな小説に登場しますが、本家ラヴクラフトが書いたものとしては、ダーレスと共著の「暗黒の儀式」があります。その中からどんな神だかひろってみましょう。

まず、小説中に登場する文書『ニューイングランドにて異形の悪魔のなせし邪悪なる妖術について』から抜粋
ワンパノーアグ族深さ三エル幅二エルの窩を穿ち、彼等の知れる呪文に依りて魔物を封じ込め、旧神の印の刻まれし(判読不能)にて覆いたり。此の上にて(判読不能)窩より掘り起こせり。蛮族の老賢人申すらくは、此は乱すべからざる在所にして、旧神の印刻まれし平石の有る限り、魔物の解かるる事なからんと。魔物の姿を問われるに、ミスクアマカス顔を覆いて眼のみ現われたる様を示したる後、極めて面妖なる話を為し、蟇にも似て小さく硬き事もあらば、定まった体無きものの蛇の生えたる貌を有して雲のごとく大きくなる事も有らんと云えり。
魔物の名前はオサダゴワアにして、此は星より到来して北の地にて崇拝されしと祖先等の語り継ぎたるサダゴワアの仔を意味せし。ワンパノーアグ族、ナンセット族、ナラガンセット族、此の魔物をば天より誘い出せし術を知りたれど、極めて邪悪なる物故、未だ召喚せし事無し。魔物を捕え、幽閉せし術も知りたれど、元に帰らしめん術は知らず。大熊の下に棲い致し、邪悪さの故に古え滅ぼされたるラマア族、なべての術に通じたると云う。傲慢なる者数多く、外世界の秘密を知れると宣巻くも、罹る知識を真に持てるを証せし事無し。オサダゴワア好みて空に戻る事多かれど、召喚されずんば戻る能わずと言える者もあり。
 なんか宇宙から飛来した異星人(神?)の子供のようですね。その姿は思い出そうとするだけで、顔を覆いたくなるようなもののようです。封じ込められてんだか自由に動けるんだか、召喚したら出て来るんだか出てこないんだかよくわかんない文章です。
 この「オサダゴワア」が何を指すかについては、この文章を分析したラファム博士言葉から。
文書は封じこめられたものをオサダゴワアと呼び、『サダゴワアの仔』と説明しているが、これからはただちに、わたしたちが検討している神話に現われる、あまり知られていない実態が連想されるね。ツァトゥグアだよ。

(ラブクラフト&ダーレス著 大瀧 啓裕訳 『暗黒の儀式(クトゥルーIII)』 1982.11.30 青心社)

 他の作品も読まないと、全体像は見えてこないようですが、ちょっと横着をして、東雅夫『新訂クトゥルー神話辞典』(学研)からツァトゥグアの項目を抜いてみましょう。
ツァトゥグア Tsathoggua

 地球が誕生してまもなく土星から到来し、ヴーアミタドレス山の地底にある秘密の洞窟に永劫の歳月うずくまる怠惰な邪神。巨大な胴回り、蝙蝠のような毛、眠たげな黒い蟇のような姿をしている。ヒューペルポリアや暗黒世界ン・カイで広く崇拝された。
 ・・・なんか素人が入ってはいけないところに踏み込んでしまったような・・・。
 もちろんこれは小説の話ですし、こんな神では恐怖の対象にはなっても、信仰の対象にはならないでしょう(原初には信仰されていたという設定になっていますが)。あ、それにそもそも小説だし。
 皆が崇め奉るような蛙の神はいないものでしょうか?

 もちろんいます。いなきゃおかしいでしょ。蛙ひとすじの我々としては、いなければ許せません。古代エジプトの世界へ飛んでみましょう。
 エジプトの神話にはいくつかの系統があり、伝えられる都市によってまったく違う場合も多いのですが、そのうちのヘルモポリスという都市周辺で発展した神話を、ヘルモポリス系神話といいます。このヘルモポリスの創造神話は、原始のカオスの中に、4匹の蛙を形どった男性神と、4匹の蛇を形どった女性神がおり、そこから宇宙が生成された、というものです。この八神の名前は、

  ◇ ヌンとナウネト:原始の水
  ◇ フウとハウヘト:無限、不定の空間
  ◇ ククとカウケト:暗闇

の六神までは固定で、あとの二神は教義によって異なっています。(ニアウとニアウト:否定、ゲレフとゲルヘト:欠乏・不在、アモンとアマウネト:隠されたもの)

 この八神(オグドアド)は、創造以前の神であって、存在するともしないともいえない混沌の中から秩序を作り出す働きをします。そのうちの一方を蛙が担っているとは、ビバ!エジプト!

ヘケト  創造以前の混沌から湧き上がる象徴として選ばれるということは、蛙はエジプトにおいて深い淵の中から出現する「生命」の象徴だったことを表してます。ということは、生命の神、出産の神として崇められる蛙神に繋がるのが理の当然、エジプトには「ヘケト」という女神がいます。

死者蘇生  ヘケトとは、ろくろを廻して生き物を造りだす、造物神“神の陶工”クヌムの陪神(神の妻、女神の夫みたいな言葉)で、なんと「蛙の頭」を持つ女神です。手には「アンフ」という、十字架の上に丸がついたようなマークを持つのが普通なのですが、このアンフというのは、生命を意味するヒエログリフ。(遊戯王カードで遊ぶ人なら、「死者蘇生」のカードの絵といえばすぐに分るのでは?)
 生命を与える女神、出産の女神として信仰されるこの女神は、ヘルモポリスに専用の神殿が建てられ、祭儀が行われるほどだったとか。生命を与える神である以上、もちろん死者がよみがえるのも助けることになり、死者の守護者として石棺の上に描かれることも。エジプトではもともと、蛙は自然発生すると考えられていたほど大量に発生するもので、また、おたまじゃくしから変態をするあたりが、「生命とその再生」に結びついたのでしょうか。そういえば聖書では「蛙の災い」ってありましたね。エジプトにおける蛙の大発生。きっと実際にそういうことがあったのでしょう。復活のシンボルとしての蛙。いい響き。

(参考:ステファヌ・ロッシーニ/リュト・シュマン=アンテルム著 矢島文夫/吉田春美訳『図説 エジプトの神々事典』河出書房新社)


 しかし、現代の日本にいるわれわれとしては、そんな遠方(時間も距離も)の神に祈ったところで大したご利益は見込めません。いや、そもそもどうやって祈って良いのやらまったく分らないし。日本ではどうでしょう?

半人半蛙土器  縄文土器の文様の中には、「半人半蛙(はんにんあんあ)」という精霊の像があるといいます。多分眼と思われる丸が二つと、3本指の手、丸い(もしくは紡錘形)の胴体というのが特徴だとか。でも精霊かどうかわからないですよね。思いつきで描いただけかもしれないし。ということでこれはパス。文様の分析については、こちらに少し解説が。⇒井戸尻考古館

 静岡県の浜名湖の側にある、引佐町には、「渭伊神社」という神社があります。あの、彦根藩井伊家の大先祖が現われたとされる場所ですが、ここに祭られている神は水神です。この神社の古名は「蟾渭神」といい、もともとは、水の精霊としての蛙が祀られていたことが分ります。
 (北野晃「蛙神の誕生」東アジアの古代文化107号)
 うーん。でも、いまいちピンと来ませんね。これではどちらかというと土着の神であって、異郷に住む私としては、インパクトに欠けています。


 祭り関係で見ると、みうらじゅんの「とんまつり」って本で有名になった、吉野の蔵王堂で行われる「蛙飛び行事」っていうのがありますね。修験道の開祖「役の行者」の母親刀良売が、金色の蛙の片目を潰してしまった故事が基になってるという話を聞いたことがありますが、これも「神」としては役不足かな。
 もうひとつ、信州諏訪大社では、元旦に「蛙狩りの神事」を行うとか。あーもうすでに「狩」られちゃってるよ。
信州・諏訪大社・上社では正月元旦、御手洗川の氷を割って、冬眠中の蛙を捕り、すぐに小矢で射て串挿しにしたものを、大神への御贄とするという「蛙狩りの神事」がある。毎年必ず二、三匹は捕れるので、七不思議の一つとされていた。正月の祝い餅とともに丸焼きにして、大祝以下一献の肴としたという儀式である。
(北野晃・前掲)
 これはどちらかというと「蛙食文化」として取り上げるべきでしたね。諏訪明神が「蛇」神なので、その好物をお供えするんだとか。串刺しになった蛙に合掌

 雨乞いのシンボルとして信仰される場合も各地にありそうです。「蛙石」なんてホントにあちこちにあるし。Googleで「蛙石」を検索すると、日本語ページだけで200以上ヒットしました。雨乞いの石だったり、危険を告げて鳴く石だったり、いろいろ。

 もっと近場で、もっと手っ取り早く、手の届く範囲で信仰できる蛙の神はないもんでしょうか・・・。自分で勝手に作ってみてもいいけど、自分で作ったものはとても“信仰”できないしなあ。


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