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蛙食文化 −法龍寺「食用蛙供養塔」−

 ※ 引用文中、文字フォント、文字色等を変更して強調している部分は、当サイトで付したもので、原文とは関係ありません。

おまけ ■ 蛙を“吐く” ■

手品師  蛙を「食」する方向からざっと眺めてみましたが、その逆はどうでしょう?いや、蛙に食べられる、という意味じゃなくて(それはそれで面白そうなテーマですが)、蛙を「吐く」という意味で。


 ヒエロニムス・ボスという人の絵で「手品師」(「いかさま師」とも)という題のものがあります。術者が見せる手品をじっと覗き込むようにしている老人、実は、口から蛙を吐き出しているところです。どういう種かはわかりませんが・・・。机の上にも既に吐いたものか、蛙がいます。

 この絵を見て、辻邦生という小説家が「蛙」という短編を書いています。全集には載っていたのではないかと。

 Fortean Timesという、不思議現象ばかりを特集する雑誌があるのですが、掲載された記事の一部はWEB上でも公開されています。そのうちの一本、1999年1月に「Chunder Wonder」という記事が載っています。Chunderは“吐く”という意味です。
 古いものから削除されていくためか、現在Fortean Timesのサイトで閲覧することはできませんが、以下のサイトで同じ文章を読むことができます。

   NewtsWeek : 一瞬、NewsWeekかと思ってしまいました。Newtsは「いもり」。
   ODDweb : 「Special Report」のコーナーに掲載されています。

 この中から、「蛙を吐いた話」を中心に訳してみました。原文と全然意味が変わってしまってるかもしれませんがご容赦を。

■ 蟇吐き女

 こうした事例のなかで、最も有名なものといえば、Catharina Geisslerinの事例だろう。彼女は、「オルテンブルグの蟇吐き女」(The toad-vomiting woman of Altenburg)として広く知られている。1642年、彼女は何匹かの蟇蛙とトカゲを吐いて、その高名に向かう最初の一歩を踏み出した。2年後、Thomas Rheinesiusという医者が、治療を試みようと彼女の前に現れると、突然、蟇吐きの症状はなくなってしまった。それでも彼は、何ヶ月にもわたって様々な種類の嘔吐剤や下剤を試してみた が、蛙等の生き物を彼らの寝床から狩り出すことはできなかった。1648年5月にこの医者が去ると、Catharina Geisslerinは再び両生類を吐きはじめた。2週間の間に、13匹の蟇蛙と、沢山の蛙の卵を吐いたのである。
 胃の中の手におえない下宿人に14年以上も苦しんだ彼女は、彼女に付いた医者の誰よりも長生きした。Rheinesiusはその例外で、彼女がまだ生きているということに非常に驚いて、遅くとも1661年頃に彼女を訪問している。彼女がオルテンブルグの病院で1662年に死亡したとき、医者たちは、彼女の身体の中に非常に興味深い蟇蛙やらトカゲやら、サンショウウオやらの飼育場が見つかるものと考え、解剖を行った。しかし、医者達は失望し、また驚いたことには、一匹の生き物も彼女の身体からは見つからなかった。
 何というか、「The Toad-vomiting woman of Altenburg」という言葉に圧倒されました。身もふたもない言いよう。有名ってどの程度有名だったんでしょうねえ?


■ エクソシストの奮闘

 1694年、南ドイツのBerolzheim村の主任牧師、Zacharias Dodlereinの12歳になる息子が、急性の病気に罹った。彼は、卒中性の発作と腹痛が何回かあった後、21匹のイモリと4匹の蛙、それから数匹の蟇蛙、そしてそれに続いておびただしい数の昆虫を吐いた。牧師達はこれを“悪魔憑き”と診断した。とりわけ彼らにとって衝撃的だったのは、苦しむ少年を、新鮮な空気を吸わせるために蛙の鳴く池のそばに連れて行ったとき、彼の胃の中の蛙がそれに応えて騒々しく鳴いたことだった。

 医者はこの治療から外され、この少年、Theodorous君の取り扱いは、悪魔祓いの専門家(Exorcists)に引き継がれることになった。彼らの祈りや呪文は最初のうち全く効果がなく、少年は幾分奇妙なものを吐きはじめた。白と赤の卵の殻、2本のナイフ、大きな鎖のわっかひとつ、2本の長い釘、そして多量の小さな鋲・・。
 一度、聖職者たちは、少年の口から大きな蛇が頭を出しているのを見たと思った。しかし、屈強なクリスチャンが、少年からその悪魔を引き出して打ちのめしてやろうと殺到したとき、蛇は慌てて引っ込んでしまった。
蛙吐き
 一方、医者達は、少年が吐いた「地獄からきた蛙」を解剖していた。蛙の胃の中には、半分ほど消化された昆虫が入っており、このことは、少年が吐く直前まで、その蛙は少年の身体の外で生きていたことを示唆していた。そこで、医者達は蛙が超自然的なもので、医療の通常の法則に従わない、という考えに反対した。

 聖職者たちは、胃の中の生き物に効果があるという由緒ある治療法を実験していた。生きた蛙に馬の尿を注いだのである。蛙は即座に死に、満場一致で、この強烈な“薬”が可哀想なTheodorusに用いられることが決定した。Theodorusは馬の尿が入ったボトルを何本も飲まされた。真面目くさった悪魔祓いの祈りや呪文が効果があったのかどうか、この薬は奇跡的に効いて、Theodorus少年は、蛙やらその他奇妙なものを吐くことはなくなった。
ホントTheodorus君、ご愁傷様で。効いたんだから良しとすべきか・・・・。


■ 酒好きな蛙

 Carl Linnaeusは、ラプランドへの旅行中、胃の中に3匹の生きた蛙がいて、その鳴き声がとりわけ春にははっきり聞こえるという女性の症例について相談を受けた。彼は、その生き物を駆除する薬として液体タールを勧めたが、彼女は、少なくとも蛙が気持ちよくなって静かにしている強めのアクアビット(北欧の蒸留酒)の一服の方を好んだ。
酒飲んでりゃおとなしいのであれば、飲ませておけば。


■ 寄生する蛙

 18世紀末では、Linnaeus、Buffon、Blumenbachなど、指導的な生物学者のほとんどは、蛇や蛙が人体の胃や腸の中に寄生する形で生きられると考えていた。1780年、Sir Joseph Banksは、Reverend Samuel Glasseから、Thomas Walkerという人が、嘔吐剤を飲んだ後、体長6.3cmの蟇蛙を吐き、その蟇蛙が床を這いずり回った次第を書いた手紙を受け取っている。
うーん。


■ いんちき?

 1834年、一年以上の間、胃の痛みと横隔膜辺りの異音があった後、2匹の生きた蛙を吐いたというHenriette Pfennigが現れた。続く数週間、驚く見物人の群れの前で、この中にはこの有名人を見ようと何マイルも離れたところからやってきた人もいたが、彼女は、さらに9匹の蛙を吐いてみせた。彼女の主治医はその蛙を解剖してみて、半分消化された虫とほとんど完全な形で残っていた甲虫を見つけ、非常に驚いた。彼女は、蛙吐きが悪ふざけであったことを認めざるを得なくなった。近所の人に、本当に胃の中に蛙がいるのかと疑われてから、スカートのポケットに蛙を隠し持つようになったということだった。同情と周囲の注目を集めるため、その隠し持った蛙を、医者を含む見物した人全てが騙されるほどの技術で、咳とともに吐き出す振りをしたのだった。
もっとも興味深いのは、“蛙を吐く”という人を見物に行く人たちと、それを迎えて実際に吐いてみせる人という情景ですね。どう考えてもそれは病気じゃなくて、“見世物”だよなあ。


■ 蛙は胃の中で生きられるのか

 1859年、ゲッチンゲン大学のArnold Adolph Berthold教授は、人間の胃の中に寄生する両生類の存在という白熱した問題を解決することを狙った研究論文を発表した。彼によれば、ドイツの名の通ったほとんどの病理学研究所において、人間の体内で数年間生存した後、患者が吐いたと伝えられている蛇や蛙、いもりの標本を保管しているとのことだった。彼は、これらの標本について解剖する許可を得、実際に解剖した。
 標本はすべて、胃の中に部分的に消化された昆虫があり、このことは、蛙等が、吐かれる直前に、わざと飲み込まれたものであることを強く示唆していた。この発見は、これらの両生類・爬虫類のうち、29℃の水の中で生きられるものは一匹もおらず、また、この温度では蛙の卵は腐ってしまうという多くの実験結果とも符合するものである。
駄目か・・・。残念。


 おまけも含めて、これで口から入る方と出る方を網羅したわけで。読んでくださってありがとうございます。
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