宗教戦争顛末記

宗教会議(3)

 皆、声がなかった。盲点といえば盲点だったが、なぜ自分はそこに気付かなかったのか、自問自答がくり返されているようであった。
 最初に口を開いたのは、議長のカルだった。
 「イラルス君、報告は御苦労だったが、一体今さら何をいっているのかね。教典そのものに、神エルの姿を成年期のかえるの姿であるとの記述がないことは確かもしれんが、どう考えたって、分別を獲得し、かつ、成熟し、知識を貯えた成年かえるの姿こそ、神エルの姿であることは、間違いないではないか。」
 イラルスをはじめ、会の出席者は皆、リカーの方を向いた。別に、そういう決まりになっている訳ではなかったが、こんなとき、彼は、必ず何か言うのだ。
 「まったく、もうろくして心の柔軟性を失うと、何でも自分が一番と考えがちになるもんだね。分別を獲得?一番の年寄りが、もっとも分別がないというのに・・」
 「リカー君、それは私へのあてつけかね。第一君の年だって私と似たようなもんじゃないか。」カルは、顔を少し紅潮させていたが、まだ冷静であった。
 「いや、別にあてつけるつもりはありませんがね。しかし、私は、少なくともあなたよりは、偏見のない心で物事が見られますよ。
 ジャマエルには、すべてのものに原罪(注1)があり、その原罪を背負い、かつ、この現実社会の中で、罪を重ねる我々、という観点に立てば、すくなくとも、生まれたてのおたまじゃくしには、その現実社会における罪がないぶんより純粋で、損得から懸け離れているといえるはずです。そう考えれば、神エルの姿は当然おたまじゃくしであるべきで、我々は、あの純真さに戻ることを目標にすべきと言えるでしょう。」
 「君はいつでも新し物好きで困る。」カルは徐々に声を大きくしながら、しゃべりはじめた。「そもそも、この現実社会は、原罪を払拭するため、神に仕える生活をするためにあるものだろう。それを考えれば、生まれてから時間がたてばたつ程、神エルにとって望ましいジャマエルになると言うことだろう。したがって、神エルは、成年かえるの姿、もっといえば、私のような老年かえるの姿をしているはずだ。どうだ、この3段論法!」
 「その論法の欠陥を証明することは簡単ですよ。第一に、現実社会における生活が、原罪の払拭であるという定理は、教典のどこにもでていない。そもそも、原罪が払拭できるかどうかは、まさに神のみぞしることであって、我々ジャマエル知の及ぶところではないはず。第二に、少なくとも議長に関して言えば、神エルの望むべき生活とまったく逆の生活をおくっている。2点も挙げたが、背理法により議長の3段論法は間違っている。Q.D.E」
 「ふざけるな。君は私を侮辱するつもりか。」「侮辱とはなんだ。事実を言っているだけじゃないか。この間の食料供給問題の時だって、あんたはそんなこと言っていたが、自分の思い通りにならないとなるとすぐ、侮辱だのなんだの言い出すんだから。」「おまえこそ、毎回毎回私の意見に反対するし、対案はふざけているし、無責任もいいところだ。」・・
 会議は、その後3時間以上にわたって紛糾し、(主として、カルとリカーの口げんかにより。というより、口げんかのみにより。)この場では結論は出せないという結論を出したうえ、1ヶ月後全員投票(注2)を行うこととし、その結果を尊重した上で、再度教師会を開催することが決定された。(というよりカルとリカーがそう決めた。)

 注1.ジャマエルは、猿にそそのかされ、神に禁止されていた「かえるの歌」を歌ったため、楽園を追放された。

 注2.全員投票が行われた記録は、このときが初めてである。この事件をきっかけとして、全員投票という意思決定方式は、定着したようである。(「ジャマエルと政治権力-大衆のあり方とその行動-」訳者著)

 

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