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草野心平 略歴
 出来事のほうに重点をおいて記載しました。詩集がほとんど出ていないように見えますが、蛙以外の詩集はカットしたためで、もちろんそれだけではありません。
 なお、内容については、岩崎書店 美しい日本の詩歌15 草野心平詩集「蛙のうた」巻末にある略年譜を参考にしています。
年齢出来事
1903M3605月、福島県石城郡上小川村に生まれる。
1916T513兄、民平死去。兄の遺品に短歌や詩などが書かれたノートを見つける。
母トメヨ死去
福島県立磐城中学校に入学。美術部に入部
1919T816中学校を四年生で退学
上京
1920T917慶応義塾普通部三年に編入
慶応義塾普通部を中退、英語、北京語の学校に通う。
1921T1018神戸を出航、上海へ向かう。上海から広州に入る。
嶺南大学夏期講習を受講
嶺南大学(アメリカ系ミッションスクール)に入学
1922T1119アメリカの詩に親しむ。この頃にはすでに詩作をはじめていた。
1923T1220雑誌「詩聖」に初めての投稿詩掲載。亡兄民平との合本詩集「廃園の喇叭」
1924T1321謄写版の詩集「月蝕と花火」印刷
嶺南大学に新設された日本語講座の担任教師に。
1925T1422同人雑誌「銅鑼」創刊
排日英運動が中国各地で激化したため、帰国。
1928S325「銅鑼」16号で終刊
江島な於の養女のや満と結婚
雑誌「学校」創刊
詩集「第百階級」出版
1929S426上毛新聞社校正部に入社
長男雷誕生
「学校」7号で終刊
1930S527上毛新聞社を退社
1931S628麻布十番で焼き鳥屋の屋台「いわき」を開店
詩誌「弩」創刊
次男大作誕生
1932S729「いわき」閉店。実業の世界社に入社
1934S931実業の世界社の帝都日日新聞編集部の記者になる。
文圃堂書店発行の「宮沢賢治全集」の共同責任編集者になる。
1935S1032詩誌「歴程」創刊
1936S1133長女碧誕生
1938S1335三男萬吉誕生
1939S1436詩集「蛙」出版
帝都日日新聞社退社。東亜開放社入社
1940S1537中華民国中央政府宣伝部専門委員として中国へ。
1941S1638中国在住日本人による雑誌「亜細亜」の同人になる。
四男光平誕生
1945S2042敗戦で全財産を没収され、南京日僑集中営に6か月収容される。
1946S2143帰国。郷里に帰る。
1947S2244貸本屋「天山」を開く。
1948S2345詩集「定本蛙」を出版
「天山」閉店
1950S2547一連の蛙の詩によって第一回読売文学賞(詩歌部門)を受賞
日本文芸家協会の理事になる。
1952S2749文京区に居酒屋「火の車」を開店
1955S3052現代詩人会幹事長に選ばれる。
「火の車」を新宿に移す。
1956S3153詩誌「季節」の編集同人になる。
「火の車」閉店
1957S3254日本ペンクラブ理事に就任
1959S3456季刊詩誌「無限」創刊
1960S3557バー「学校」を新宿に開店
川内村名誉村民に
1964S3961詩集「第四の蛙」出版
1965S4062日本現代詩人会長になる。
1966S4163福島県双葉郡川内村に「天山文庫」完成
1970S4567「わが光太郎」によって第21回読売文学賞(評論伝記部門)受賞
1974S4971妻や満死去
この年詩集「凹凸」を出版。以降1986年まで毎年1冊のペースで詩集を出した。
1977S5274勲三等瑞宝章を受賞
1983S5880文化功労者になる。
1987S6284文化勲章を授賞
1988S638511月12日、急性心不全で永眠