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組織の沿革

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[HFLAとは?]

[とーどん導師]

HFLAは、蛙を中心とした信仰を研究するメンバーが自然発生的に立ち上げたグループを母体としておりますので、いわゆる階層型の組織はありません。HFLAの取組みに対して最も深い理解を持つものをメンバーの互選により選出する「導師」の尊称はありますが、組織の意思決定を行うような権限は持ちません。

HFLAは会員同士の緩やかな連帯のみによって成り立つ共同体であって、いわば、冬眠する蛙が土中にあって、冬眠自体は個々に行っている一方、種全体がそういった本能に従って同様に土の中にいるのだ、という緩やかな共時性によって、暗く孤独な時間を乗り切るように、苦悩の多い世の中を同じ考えで渡っていく仲間がいることを意識しながら生活することの意味のみに成立する組織です。

<沿革>
1964年  平塚氏、柳に飛びつくアマガエルを見て書道に、古池に飛び込む蛙の音を聞いて俳句に、ピサの斜塔からリンゴと蛙を同時に落としたらどちらにも傷ひとつなかった夢を見て物理学に、一度に興味を持つ。どれも3日と続かなかった体験をもとに、自伝を出版しようと書き始めたところ、頭の中が蛙のイメージ満たされる経験をし、執筆を断念。自費出版を予定していたため、余った資金をもとにHFLAを設立。

1965年  設立したものの、何をしていいのかよくわからないため、会の趣旨についてぼんやり考える。

1968年  座禅を組もうとしたものの足が固くて、そのまま後ろにひっくり返った際、「かえるを思えば幸福に」との現在の教義の基礎を思いつく。

1970年  設立後6年目にして始めて第一号会員が入る。

1972年  会員数が増加し、4名になる。平塚氏を入れて5名のメンバーとなったため、導師制を導入、リーダーの選出を行うこととなった。全員が立候補し、多数決が成立しなかったこともあり、暫定的に導師、尊師、先師、恩師、手品師の五頭体制とした。初代導師は平塚氏。

1975年  五頭体制の手品師が、超能力に目覚めて脱会、恩師も「仰げば尊し」のメロディーにのって校舎を去った結果、三頭体制になる(第一回三頭政治)。会員数はこの3人を入れて10名。

1976年  3頭以外の7名でHFLA民主化同盟を結成。階級闘争の側面を帯びる。

1977年  3頭のうちの導師が民主化同盟と接近、会の主導権を握る。導師である平塚氏と民主化同盟リーダーであった館崎氏のタッグによる会の建て直しが行われる。(77政変と第一次改革の時代。ちなみに第二次改革は今のところなし。)

1980年  会の活動に飽きた平塚氏が幽霊会員に。館崎氏が2代目の導師に就任。会員数は24名。

1984年  日本経済の好調を背景として会員数が漸減。長い低迷時代に入る。(冬の時代の到来)

1989年  バブル崩壊を契機として、2代目導師の館崎氏、会員数獲得大キャンペーンを実施。一部でその強引な勧誘方法が社会問題になりもせず、「蛙の思考でぐんぐん伸びる!」「蛙なければ幸せなし!」をキャッチフレーズに自宅周辺を開拓した結果、会員数は着実に伸び、この年の12月までに、1980年の24名まで会員数を戻した。

1992年  館崎氏の独裁体制に、蓑田、柳原、相馬の三氏によるクーデターが勃発、館崎氏はちょうど廊下に落ちていた雑誌「ブルータス」を読んでいるところだったため、取り返しにきたと思い「ブルータス、お前のか。」との名台詞を吐いたと伝えられている。館崎氏はそのまま平会員へ。第三代導師については、三氏による3日3晩連続ジャンケン大会の結果、まったくの同格であったため、三氏が導師1、導師2、導師3を名乗る導師トリオを結成した。(第二回三頭政治)

1997年  相馬氏が実家の手伝いで忙しくなり自然と脱会、導師トリオに欠員ができたため、当時からそのアバンギャルドなボケと、エキセントリックな突っ込みで評判だったとーどん氏を一員とし、爆笑オンエアバトル出場を目指す。

1999年  2年間暖めつづけた「アマガエルでーす。」「ガマガエルでーす。」「三波春夫でございます。」のネタがまったくうけず、お笑い界への進出を断念。事実上の活動停止に。

2003年  蓑田氏、柳原氏がコンビ「カエルンバ」を結成し脱会。とーどん氏一名体制になり、自然と第三代導師となる。

2006年  とーどん氏、まったくの休眠状態であったHFLAの再生を目指して、ホームページを立ち上げ、活動を再開



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