ちょっと、退屈な話がつづくかもしれませんので、ここらで一休み。三代豊国の錦絵「俳家書画狂題」です。俳句と役者の見立絵を組み合わせたもので、ここに描かれているのは、尾上菊五良。古池の句が記された短冊に、折り紙の蛙の絵が描かれているのがなかなか。 古池蛙の句が成立した経緯については、様々な説があり、極端なものでは禅僧との禅問答の中からできた、というものまでありますが、大体、まず、「蛙飛こむ水の音」という七五ができた後、「古池や」の五をつけた、という流れになっています。 芭蕉存命中に弟子の支考が書いた『葛の松原』という俳論書には、 「とあって、上の五文字をつけるときに、晋子(先ほど正岡子規の引用の中で、悪い例に挙げられていた芭蕉の弟子、其角のこと)が、「山吹というのはどうでしょう」とでしゃばったところ、「いや、古池だ」と決めたようです。 あっちでもこっちでも駄目出しされている其角も可哀想ですが、其角が提案した「山吹」というのは、古典の中でのお約束のように、決まりきった一語だったところが、「古池」の新しさを強調させることになって、今まで伝えられているのでしょう。 なぜ、「山吹」が決まりきった一語だったかというと、これは和歌の世界の話になります。 現在の京都府井手町は、古くから和歌の名所で、井手を流れる玉川の蛙(河鹿蛙)の鳴き声と、山吹が名物でした。井手−蛙−山吹というのは、和歌の黄金パターンだったわけです。ちょっと和歌集をみるだけで、いくつも実例を見ることができます。 |
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山吹と蛙がいかに強固に結びついた連想であるかよくわかるでしょう。ご丁寧に「井手−蛙−山吹」三つ全部入っている歌も結構あります。 また、井手の蛙がいかに歌の題材として珍重されたかを示すエピソードが12世紀の歌学書『袋草子』(藤原清輔)の中にあります。歌人である能因法師と藤原節信との説話ですが、二人が始めて出会ったとき、引出物だといって、能因法師が「長柄の橋の鉋屑」を、藤原節信が「井手の蛙の干物」を見せ合うというもの(増田繁夫『能因の歌道と求道』(後期摂関時代史の研究 1990.3.31 吉川弘文館))。「長柄の橋」というのもよく歌に詠まれる題材です。歌人が干物にして大切に持ち歩くほど、「井手の蛙」は歌の題材として有名だったわけです。蛙の干物が宝物・・・蛙好きでも(というより蛙好きなら余計)ひいてしまうな。 其角は、この伝統にのっとって、実に常識的に「山吹」を挙げていることになります。「蛙といえば山吹でしょう」という発想。これを破って「古池」という、それまであまり使われたことのなかった言葉を置いたのが、この句の「新しさ」だということができます。 其角は芭蕉の斬新さを引き立たせる役を負わされてしまったわけです。 もう一つ。例で挙げた歌を見るとわかるとおり、蛙といえば、「鳴く」。紀貫之の「花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの いづれかうたをよまざりける」という古今和歌集の序文をみれば、鳴き声を鑑賞するのが古くからの定番であることがわかります。 しかし、古池蛙は鳴きません。水に飛びこむだけです。この視点からも、古池蛙の句は斬新でした。今では、蛙は飛びこむもの、という別の定番ができあがっているので、当時の衝撃はよくわかりませんが。 古典から一線を画して、新たな境地を開いたこの一句、それが理由かどうかはわかりませんが、盛んに英訳されているようです。 Hiroaki Sato著の「One Hundred Frogs」という本の第7章には、タイトルどおり、百種以上の古池蛙の英訳が載せてあります。この7章部分だけを独立させて、ペーパーバックにした廉価版もあります。うちではこちらの方を持っています。各ページの挿絵がパラパラ漫画になっていて、めくってくと、蛙が池に飛びこむという趣向つきですので、蛙好きの皆様におすすめ。 |
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どんな訳があるかというと、例えば・・・
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こんなのがいっぱい詰まって$7.95。楽しいですよ。 [ ⇒次を読む ] |