歴史は繰り返すというか、二度あることは三度も四度もあるというか、現在(2002年4月)、がま池はさらに縮小されています。 渡辺家の所有であった、がま池とマンションの敷地は、どういう経緯かは確認できていませんが、「サンウッド」というマンション開発会社の所有になりました。 2001年2月、この会社は、3階建てであったマンションを取り壊し、がま池の30%を埋め立て、その敷地を合わせて6階建てのマンションを建設する方針を、付近住民に説明しました。 例によって、反対運動が展開され、「がま池を守る会」、「旧跡がま池を守る会」等運動母体が設立され、2001年4月には、住民が、東京地裁に工事差し止めの仮処分申請をする騒ぎ。 ![]() その後、区も加わっての3者会合が重ねられたようですが、双方の主張が平行線のまま(区も具体的には何もしないまま)、10月頃から工事が始まり、がま池の埋め立ても始まりました。 今年(2002年)に入っても、協議は続いているようですが、工事の方は着々と進んでしまっているようで、30年前の反対運動と同じような終焉を迎えそうな気配になっています。 詳しい経緯等については、運動の中心になっている「麻布山の水系を守る会」のページをご覧下さい。 ⇒http://www.beat4u.co.jp/gamaike/ 一応断っておくと、「かえるクラブ」としては、別に反対運動を支持しているわけではありません。(反対運動に“反対”というわけでもありません) もちろん、埋め立て工事そのものが好ましいものだとは思っていませんが、もともとこの池は、外部からまったく見えないようになっていて、がま池を囲んでいるごく一部の人たちの庭池のように存在していたわけで、「憩いの場」だとか「文化財的価値」などという理由には今ひとつ首をかしげざるを得ません。地下水脈への影響といっても、既に湧水は枯れているし、マンション建設会社が、がま池の残った部分を開放する、としていることを考え合わせてみると、部外者として言うべきことはない、と思います。 さて、その紛糾する「がま池」に行ってまいりました。 2002年3月20日。新宿から都営大江戸線に乗って麻布十番駅へ。パキスタン大使館を目標に歩きます。麻布にはやけに坂が多く、「暗闇坂」のように名前が付いた急勾配のものがあったりして、難儀します。 大使館周辺は、高級住宅が並び、日常会話における外国語率が急激に高まります。 ![]() ![]() | ||||||||||
しかし、肝心のがま池が覗けるポイントは皆無。現在の状況はよくわかりませんでした。 建設会社の言い分を信じれば、そのうち見る影もなく小さくなったものにせよ、がま池を拝むことが出来るでしょうから、そのときに再度出かけてみることにして、この日はもう一方の痕跡、「上の字様」のお守りの現在を見に行くことにしました。 この文章も、がま池から離れ、蝦蟇が教えた防火のお守り「上の字様」を追いにいきましょう。 [ ⇒次を読む ] |