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今も残る大蝦蟇伝説 − 麻布がま池 −

 ※ 引用文中、文字フォント、文字色等を変更して強調している部分は、当サイトで付したもので、原文とは関係ありません。

■ がま池の現在 ■

 歴史は繰り返すというか、二度あることは三度も四度もあるというか、現在(2002年4月)、がま池はさらに縮小されています。

 渡辺家の所有であった、がま池とマンションの敷地は、どういう経緯かは確認できていませんが、「サンウッド」というマンション開発会社の所有になりました。
 2001年2月、この会社は、3階建てであったマンションを取り壊し、がま池の30%を埋め立て、その敷地を合わせて6階建てのマンションを建設する方針を、付近住民に説明しました。

 例によって、反対運動が展開され、「がま池を守る会」、「旧跡がま池を守る会」等運動母体が設立され、2001年4月には、住民が、東京地裁に工事差し止めの仮処分申請をする騒ぎ。
2001.4.27 朝日新聞  この仮処分申請の前後に、4月27日の朝日新聞東京版を初めとして、各誌にこの反対運動が紹介されました。
 その後、区も加わっての3者会合が重ねられたようですが、双方の主張が平行線のまま(区も具体的には何もしないまま)、10月頃から工事が始まり、がま池の埋め立ても始まりました。

 今年(2002年)に入っても、協議は続いているようですが、工事の方は着々と進んでしまっているようで、30年前の反対運動と同じような終焉を迎えそうな気配になっています。
 詳しい経緯等については、運動の中心になっている「麻布山の水系を守る会」のページをご覧下さい。
http://www.beat4u.co.jp/gamaike/

 一応断っておくと、「かえるクラブ」としては、別に反対運動を支持しているわけではありません。(反対運動に“反対”というわけでもありません)

 もちろん、埋め立て工事そのものが好ましいものだとは思っていませんが、もともとこの池は、外部からまったく見えないようになっていて、がま池を囲んでいるごく一部の人たちの庭池のように存在していたわけで、「憩いの場」だとか「文化財的価値」などという理由には今ひとつ首をかしげざるを得ません。地下水脈への影響といっても、既に湧水は枯れているし、マンション建設会社が、がま池の残った部分を開放する、としていることを考え合わせてみると、部外者として言うべきことはない、と思います。


 さて、その紛糾する「がま池」に行ってまいりました。

 2002年3月20日。新宿から都営大江戸線に乗って麻布十番駅へ。パキスタン大使館を目標に歩きます。麻布にはやけに坂が多く、「暗闇坂」のように名前が付いた急勾配のものがあったりして、難儀します。
 大使館周辺は、高級住宅が並び、日常会話における外国語率が急激に高まります
案内張紙  場違いな所にいる居心地の悪さに気まずくなりながら、パキスタン大使館の裏にまわると、「←がま池」とある手作り風の張り紙がある、急坂があるので、そこを降りて左手にいくと、マンションの建築現場が見えてきます。
マンション建設現場  これこそ、サンウッドが建設する6階建てのマンションに違いありません。すべてシートに覆われ、もちろんここからがま池が見えるはずもなく、周りをまわって行くと、周辺に建っている家のあちこちに、「マンション建設反対」の立看板が置いてあります。
結構大きいものです。英語のメッセージが多いのも、この辺りならでは。ストレートなものも
工事反対看板その1 工事反対看板その2 工事反対看板その3

しかし、肝心のがま池が覗けるポイントは皆無。現在の状況はよくわかりませんでした。


 建設会社の言い分を信じれば、そのうち見る影もなく小さくなったものにせよ、がま池を拝むことが出来るでしょうから、そのときに再度出かけてみることにして、この日はもう一方の痕跡、「上の字様」のお守りの現在を見に行くことにしました。


 この文章も、がま池から離れ、蝦蟇が教えた防火のお守り「上の字様」を追いにいきましょう。
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