さて、麻布がま池の大蝦蟇伝説には、防火、火傷のお守り「上の字様」が登場することは、前に見たとおりです。その起源は、蝦蟇の精が教えてくれた、という話と、蝦蟇のおかげで類焼を逃れた山崎家がお札を出したら人気になった、という話と特に一定していません。 なぜ、「上の字様」といわれるかというと、お札にただ一字「上」と書いてあったからだということです。 その効能は・・・ ●山崎家火傷の~符火傷をしたところをお札で撫でると、傷みが去る、という薬のようなお札になっています。山崎家で出していたこのお札は、明治維新後、側用人だった清水家から出すことになった、とあります。 その夜殿様の夢枕に、白髪の翁があらわれて『自分は蟇の精であるが、年々人を殺したことは、何とも申訳のない次第で、これからは決してそうしたことはせず、かえって人助けの火防のお札を、この池水でおかきになれば、きっと火事を防いでごらんにいれます。掻堀の儀はお許し下され』といって消え失せてしまったそうです。これが火防のお札、上の字さまの初りです。山崎の殿様も、蟇の精が、夢枕に立った上は、無理にも掻堀をするには及ばないと、御取止めになって、蟇の精がいった火防の御札(後に火傷の御札)をこしらえさせたものです。これを持っていると火事にならない、という防火のお札だったんですね。がま池の水で書くと効果を発揮するものだったようです。ここでは、当初から清水家が出していたことになっています。 すなわち山崎家では、この奇事にちなんで防火のお守りと火傷にきく護符を出したところ、非常に人気に投じた。そのお守りやお札は、上部にただ「上」の1字が記してあるのみで、人々は「上の字様」と呼んで、珍重したものという。明治維新ののち山崎家が移転したのちは、同家の家来筋にあたる付近の清水家で頒布することになった。「防火のお守り」と、「火傷にきく護符」の二種類を出していることになっています。 お守は熨斗形の小さいもので、表面に「上」という字を書いてその下に印を押してあります。その印のところで火傷を撫でるのですが、なんでも印のところに秘方の薬が付けてあるということです。具体的に形が書いてあって、興味深い記述ですが、火傷のお守りというより、これは完全に薬ですね。ここまでくるとちょっと眉唾かと。 [ ⇒次を読む ] |