かつて、大橋巨泉が議員なるものをやっていたときに、小泉首相に対して質問をしたことがありました。第153回参議院予算委員会。2002年10月9日のことです。 巨泉は、英語の得意なところを見せたかったのか何なのか、同時多発テロに関して、アメリカ高官が発言したという、「Show The Flag」という言葉を、アメリカから日本に対する「軍事行動協力要請」ととらえた首相の英語力について非難する質問をしました。もちろん、これが非難に値することかどうかは、「かえるクラブ」の考えるべきところではないわけです。今回紹介したいのは、その質問、答弁のなかから、こんな発言を紹介したかったから。 ○大橋巨泉君 ということは、新聞に書いてあるからだれかがそう言ったんだろうという程度のことで、日本国というのはそんなずさんな外交をしているんですか。ぼけから来る単なる言い間違いなのか、それとも、答弁の本質を曖昧にしようという深遠な戦略なのか。どっちでもいいことですが。 なぜこんなくだらない話題から入ったかというと、Show The Flag、つまり、旗幟を鮮明にしろ、どっちの味方だかはっきりしろ、という圧力の中で、どっちつかずのまま良心に従って国会に証人として出廷し、その翌日に自殺した哲学青年のことを取り上げようというのが今回の趣旨だから。 彼の遺書をここで紹介しておきましょう。遺書には、友人や、恩師等にあてた複数の種類があって、その中で、「世間の人々へ」と題されたものです。 私は日本へ還ってから平凡で真面目な国民の一人として生きようとした。今度の事件でも私はありのままの事実を公けにして国民の健全な判断力に訴えようとしたのである。しかし私を調べた人々には私とソ同盟、私と日本共産党との間になにか関係があると疑って、私の証言の純粋さを否定しようとする。いまの世の中は、ただ一つの事実を事実として明らかにするためにも多くのうそやズルさと闘わねばならぬ。しかし闘うためには私は余りにも弱すぎる。ただ一つの事実を守り通せぬほど弱い人間に何の存在意義があろう? 私の死についても一部の人々は私がソ連同盟でアクチーブだったことから何か拘束を受けているように疑うかもしれないが、そんなことは全くない。私と同じように日本へ還って新しい心構えで日本の生活を営むようにしているソ連帰りの人々にたいして、世間一般が偏見なく接してくれるよう望む。私はただ悪や虚偽と闘い得ない自分の弱さに失望して死ぬのである。私は人類のために真理のために生きようとした。しかし今までそのため何もしていない。だがやはり死ぬときには人類万歳、真理万歳といいながら死ぬ。この遺書を書いたのは、太平洋戦争後、ソ連の捕虜となり、収容所で通訳として活躍し、日本に帰国した「菅 季治」。今回のレポートは、彼が死を選ぶまでの状況を取り上げます。ちょっと真面目になってしまうのがタマニキズ。笑うポイントもないんです。すいません。我慢して読んでください。 [ ⇒次を読む ] |