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蛙昇天〜ある哲学者の話〜

 ※ 引用文中、文字フォント、文字色等を変更して強調している部分は、当サイトで付したもので、原文とは関係ありません。

■ 徳田要請問題 ■

 1950年2月8日に帰国した日の丸組によって組織された一団“日の丸梯団”は、つぎのような懇請を、GHQ、吉田首相、衆参両院に行いました。これは、その懇請の内容を記した2月16日の朝日新聞の記事です。

日の丸梯団 引揚げ促進に対する進駐軍の絶大な努力と国民の好意は感謝にたえない。しかるに第九九地区(カラカンダ)第九分所にわれわれが収容されているとき、ソ連の政治部将校ヒラトフ少尉(通訳日本人菅季治)はつぎのように言明した「日本共産党同書記長徳田球一氏からその党の名において思想教育を徹底し、共産主義者でなければ帰国させないようにとの要請があった。よって反動思想をもつものは絶対に帰国させないであろう」もしこれが事実であれば引揚げ促進に多くの障害をおよぼすものであって、右事実の真否を解明されることを懇請する

 この日の菅季治の日記。

× 朝日新聞に、カラガンダからの帰かん者たちが、徳田書記長への抗議をしている。そこにわたしの名が通訳としてあげられている。現実に対してわたしは無力である。しかし現実はわたしをいじめないですまさない。わたしは陰にちぢまってふるえている。「わたしにさわらないで下さい。わたしをほったらかしておいて下さい」しかし、現実はわたしをひっぱり出す。人々の前にさらす。
× ひじょうにしばしばわたしは自殺の考えにとりつかれる。自殺からわたしをひきとめているものは何であろうか? 今の世の中にひじょうにみにくい、卑しいものでさえも平気でのさばっている以上、そんなにみにくくなく、卑しくないわたしも生きていて悪くはない考え。しかしおまえはみにくくないか、卑しくないか、フィロゾーフとして、たとえおまえがそんなにみにくくもない、卑しくもないとしたところで、そのことはおまえがぜひとも生きているべきである、という結論をもたらさない。
 ただ、この世でのわたしの存在だけで安心し喜んでいる人々(老いたる父母)がいる。たとえ「生ける屍」であっても彼らのためにわたしはもう少しこの世に存在しなければならない。

(前掲 語られざる真実)

対日理事会  この懇請は、米ソの東西対立が深刻化するなか、日本における共産主義の進展を排除しようとしていたアメリカの思惑に非常に都合がよく、3月1日の対日理事会において、シーボルト議長がこの問題を取り上げ、日本政府に調査を指示したことを明らかにしました。
 これにより、徳田書記長の帰国妨害問題は、「徳田要請問題」として国会で追求されることになり、連日新聞を賑わせる重大な事件に発展していきます。しかし、占領軍、とくにアメリカの意向が大きく反映したこの事件は、最初から調査結果が決まっている種類のものだとも言えます。にもかかわらず、通訳として名指しされた菅季治は、自分の経験したことと、日の丸梯団の言い分との違いを放置することが、真理を愛する哲学者として、してはならないことに見えたのでしょうか。3月に入って、彼は、参議院引揚委員会と朝日新聞、そしてアカハタに向け、当時のことを記した「手記」を出しました。3月6日には朝日新聞とアカハタの記者が取材に訪れています。この日の彼の日記。
× アカハタ紙記者一人と写真手一人が来る。十五・〇〇−十六・〇〇
 朝日新聞記者一人と写真手一人が来る。十八・〇〇−十九・〇〇
 わたしは人一倍気が弱い臆病者である。意くじなしである。他人の顔を正視することも出来ない。こんな機会にもブルブルふるえ、涙が出て来る。しかし真実は守らなければならない。われわれの時代には真実でないものが支配していた、などと後の世に笑われてはならない。そのためには、国民すべてが真実を真実として判定する健全な常識をもたなければならない。

 彼の手記は、3月8日の朝日新聞に掲載されます。彼が伝えたかった真実とはどういうことだったのか。その記事がら抜粋します。
手記 手記の大要
 私は昨年九月十五日当時、ソ連カザヒ共和国カラカンダ市第九十九収容所第九分所でいわゆる「徳田要請問題」の通訳をした者です。調査のため呼び出しを待っていたのですが、問題が重大化したので当時の通訳として私が知っている事実を報告します=昨年九月十五日、カラカンダ市第九分所でタシケントから移動してきたばかりの日本人がクラブに集合させられました。収容所側からは所長代理シャフィーフ中尉、政治部将校エルマーラエフ上級中尉(従来の記事のヒラトフ少尉その他は誤り)が立ち会いました。所長代理は新しく迎え入れた日本人たちに対して収容所生活心得を訓示しました。そのあとで「質問があったらするように」と促しました。いくつかの質問が出ましたなかに「いつわれわれは帰れるのか?十一月帰還についてのソ連政府の声明はわれわれに適用されないのか?」というのがありました。それまでの質問にはすべて所長代理が答えていましたが、この質問に対しては彼は答えず、政治部将校に答えを促すジェスチュアをしました。政治部将校は立って答えました。その内容はさまざまいわれていますが、次のごとくであったと私は記憶しています。(以下政治部将校の談話のロシア文は省略)私は通訳として談話者の言葉を省略しないで、しかも直訳する方針をとっていました。デリケートな問題については特に、私は次のように通訳したと記憶しています。
いつ諸君が帰れるか?それは諸君自身にかかっている、諸君がここで良心的に労働し真正の民主主義者となるとき諸君は帰れるのである、日本共産党トクダは、諸君が反動分子としてではなくて、よく準備された民主主義者として帰国するように期待している
(注)ソ同盟では捕虜、抑留者について普通「共産主義者」という語は用いられない、「民主主義者」「反ファシスト」という語が用いられる、私はソ同盟で政治部将校からはブルジョア観念論者と呼ばれ、日本人アクチーブからはプチ・ブル・インテリと評されたものです。(以下略)
 つまり、日の丸梯団の面々が言うようなことに類する事実は確かにあった、しかし、「日本共産党からの要請があったから帰国させない」という話をしてたのではなく、話の流れからみれば、政治部将校が話のついでに、日本共産党の名前を出したに過ぎないように思われるものだった、すなわち、この事件をもって、徳田要請問題があったということも、なかったということもできない、彼の示したかったことはただそれだけでした。
 しかし、政治がそれをほおっておくはずもなく、3月9日に同じ手記を取り上げたアカハタは、「徳田書簡事件を否定」という白抜きの見出しとともに、この事件は「事実を全くつくりかえた悪質なデマである」と断定、菅はこれに対してすぐ、抗議の手紙を出しましたが、この記事が出たことで、菅が共産党に共感するもので、共産党をかばうために、こうした証言をした、という印象を広く与えることになります。

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